バラと現代性
あなたの一番好きなバラはと聞かれたら、私は、間違いなくベイシーズパープルローズと答えると思う。
そして大袈裟かもしれませんがこのバラは現代において歴史的価値のある特異な品種だと思っています。
花の持つ色彩は濃厚なワインのようで、花弁のヴェルベットの質感はコンサートホールのカーテン、その中心の蕊はまるで、そのホールに輝くシャンデリアのようです。
しかしその風貌は原種の持つ荒々しさをもちます。
一重の波打つような花形、萼の尖りは気丈さを示すようです。そして、その花を包む暗めの色彩の切れ込みの多い葉。その葉の間から見える紫褐色の枝がさらにこのバラを妖艶に見せ、ハマナス系特有のトゲがそこに荒々しさを加えています。花だけではなく枝葉にも素晴らしい魅力を持つバラです。
私はこのバラに現代性のようなものを感じています。
何故これほどまでにこのバラにそんな感情を抱くのか?
そもそもバラにとっての現代性とは何?
と言われてしまいそうですが、
どう表現すべきか、
私にとっての現代性を浮き彫りにする必要がありそうです。
最近、アストル・ピアソラの曲を聞きなおしているのですが、私は彼の作品に強い現代性を感じています。
“彼の作品の多くには、バイオレンス、攻撃的、葛藤、などという言葉で形容できるような部分が多く現れます”
とある記事に書いてありました。
そして現地の言葉ならこう表現できるとも
“Bronca(ブロンカ)=不機嫌 怒り” ”Quilombo(キロンボ)=混乱 めちゃくちゃな様子”
私も同じような感覚をいだいていました。
怒りや、葛藤のような感情と美しい物を対比させることでより感情に訴えかけるものとして昇華させるような。
その対比のさせ方が現代性のようなものを感じさせてくれるのかもしれません。
私の考える現代性とはそういう意味合いが強いと思います。
そしてその現代性の一つの要素としてプリミティブという言葉が思い浮かびます。
原種のバラにはただ美しいとは違う、ある意味プリミティブな魅力があると思っています。
19世紀末にヨーロッパの芸術家がアフリカ、オセアニアの民族工芸作品などに触れたときのような気持ちで今私は原種バラと向き合っています。
その当時、原始民族の作品のもつ単純明解、そして強烈な本能的造形表現が画家や彫刻家を刺激したように、今、原種バラがもつ単純にして強烈な野性が私を刺激するのです。
私の現代性と原種バラへの考察から話を戻しますが、
原種の荒々しい魅力を保ちながら、そこに今までにないような色彩と質感を融合させたこのベイシーズパープルローズというバラは、そういう意味で、一つの方向性を示唆する非常に歴史的な価値があるバラであると思っています。
そして、原種の持つ強烈な野生をもう一度、捉え直し、それを現代の感覚で変換することで、今までにはないようなバラが生まれてくる可能性をマイルストーンとしてのこのバラは育種家を志す私に囁きかけてくれているような気がしています。