バラの育種に寄せて
私にとってバラの育種とは沢山の種を撒き、じっくりと時間をかけてそれらの成長を見続け、その中に隠された言葉を探し出し紡ぎ出す詩のようなものです。
私は自分が交配したバラや自然交配のバラの沢山の実生を見続けています。
私の場合、原種どうしの交配が多いため開花まで数年かかるものがほとんどで実生の枝や葉ばかりを見る時間がほとんどです。だから枝や葉やトゲの違いには敏感になり、それ自体の美しさに敏感なのだと思っています。そんな中に自分の心が惹かれるもの、目の前に現れるささやかな煌めきを探しています。
私は育種家にとって一番大切なものは、見る目、視点ではないかと思っています。目の前でどれだけ素敵なバラが生まれてきたとしても、それに気づく目がなければ意味がありません。
それは、まだ認知されていない美しさに気づき選び取る目ともいえるかもしれません。私自身は経済的な合理性や実用性という視点からある程度距離をおくべきだと考えていて、それらを追い求め過ぎると大切な言葉を失ってしまうように思っています。そもそも私が交配している原種ばらはそれらとは距離があるものだと思いますが。原種バラの魅力は華やかさではなくむしろ素朴さにあると感じています。それは心を静かにして向き合わないとわからないものです。私はそれを見続けたいと思っています。
育種を始めてまだ日は浅いですが二年程前に自分が心から美しいと思うバラに出会いました。
そのバラに私の娘の名前をつけました。
“つぐみ“という名前です、漢字で書くなら“継実”と書きます。娘には、実や種のような大切な物を受け継ぎ繋いでいく人であってほしいという意味を込めて名付けました妻と一緒に決めた名前です。
このバラにどこか日本的なものを感じ、ぼんやりと娘のことが思い浮かびました。
それと同時にもしかしたら娘への愛をこのバラの中に残せるかもしれない思う気持ちが込み上げてくるのを感じました。
いつか娘がこのバラを見て自分は愛されていたのだと感じてくれたら嬉しいと思っています。
もしかしたら育種家は植物そして育種を通して思いを形にすることができるのかもしれません。でも育種家の思いはどうであれそのバラが残り続けるかもしれないことは希望です。 遠い未来、どこか世界の片隅でこのバラが咲いていてくれたらと願っています。